東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)49号 判決
一、原告が請求原因一、二において主張する原告の有する本件商標の構成、指定商品、出願日、登録日並びに特許庁における本件登録無効審判手続の経過及び審決理由に関する事実は、審決書謄本が原告に送達された日を除きすべて被告の認めるところであり、右送達の日が原告主張のとおりであることは、旧商標法第二四条によつて準用される旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第一二八条の四第二項の規定により当裁判所に送付された本件登録無効審判事件記録中の審判被請求人代理人請川健蔵に対する右審決書謄本の郵便送達報告書の記載によつて明らかである。
二、よつて、以下審決の当否について判断する。
(一) まず登録第一三一、九八九号の引用商標が毛筆行書体で「松風」の漢字を縦書きしてなり、旧旧類別第五〇類紙その他本類に属する商品一切を指定商品とし、訴外三菱製紙株式会社が大正一〇年三月九日出願し、同年七月一三日登録を受けた(なおその後存続期間更新登録を経た。)ものであつて、昭和二九年二月一三日被告が同会社からこれを譲り受け、同月二三日その登録を経たものであることは、双方当事者の主張の一致し、ないしは両者間に争いのないところである(なお以上の点については成立に争いなき甲第四号証及び第九号証参照)。
(二) ところで被告は「松風」なる漢字よりなる「松風」商標は、被告によつて昭和九年頃から宿屋、花柳界等の特殊分野に需要のある京花紙一号について使用せられ、この分野の取引者、需要者間に著名な商標として知られるに至り、昭和二九年における被告の引用商標の譲受によつて、結局被告は京花紙一号につき、その特殊の購買者層を有する右分野の取引者、需要者間に周知、著名なる引用商標を有することになつたのであり、その周知、著名性は引き続き本件商標の出願時ないし登録(査定)時に及んでいる旨主張するので、まず引用商標が被告主張の如く周知、著名であつたかどうかについて検討する。
この点につき、証人山本武治、重山元、若井秀雄の各証言及び成立に争いなき乙第一三号証の供述記載によれば、被告はその前身時代を含め古くから京花紙一号を含む鳥取地方産のいわゆる因州紙の集荷、卸販売等を営み来り、すでに前身時代たる合資会社山野商会の時代である昭和一〇年前後の頃から京花紙一号について他の数個の商標と共に「松風」商標を用いていたもので(被告はその主張において、前記の如く、被告において「松風」商標を昭和九年頃から使用していたというが、原告が請求原因一において主張するが如く、被告会社は昭和一六年一一月に設立せられたものであり、その後原告の右主張の如き変遷を経て今日に至つたものであることは当事者間に争いのないところであり、被告の右主張は不正確というべきであるが、証人山本武治、重山元の各証言及び乙第一三号証の供述記載の趣旨と本件口頭弁論の全趣旨からすれば、被告会社が設立される前その前身たる会社組織の営業があつて、それが被告会社の設立により、いわゆる同一性をもつてこれに承継されたものの如くである。)、取引量として京花紙一号については右「松風」商標のものが最も多かつたのであり、そしてやがて戦時統制によつて京花紙類の生産が行われなくなつてからは右商標の使用も一時中断されていたものの、戦後被告において和紙類等の大卸問屋として業務を再開するに及んで、被告は京花紙一号につき同様他の商標と共に引き続き右「松風」商標を用いるに至り、特にこの商標のものに力を入れ、この頃から主として福岡県八女市の福陽製紙株式会社に下請製紙させたものに右の商標を附し、京花紙一号の卸販売を続け来つて昭和三二、三年に至つたものであることは認められるけれども、前記証人重山元の証言中戦前から右昭和三二、三年に至るまでの間において商品京花紙一号につき「松風」の商標を使用したのは被告のみで、ひいて右商標が右商品についての被告の商標として周知、著名となつたとする部分並びに前記乙第一三号証及び成立に争いなき乙第一四ないし第一七号証の各供述記載中同趣旨に帰する部分はいずれも後記諸証拠と対比してたやすく信用できず、また真正に成立したものと認める乙第三号証の一ないし六九、第四号証の一、二、第五号証、第一〇号証の一ないし六の各証明書の記載も同様であつて、他に被告の前記主張を確認すべき資料は存しない。
しかもひるがえつて、成立に争いなき甲第七、八号証の各一、二、乙第二六、第三七、第三八号証、証人山本武治の証言によつて成立を認める甲第六号証の一、二、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第五号証、乙第二九号証の一ないし三、第三〇、第三一号証の各一、二に証人村上秀雄、山本博、長尾正良、山本武治、吉冨豊蔵、福田広光、重山元、若井秀雄の各証言(証人重山元の証言中前記不措信部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を合わせ、なお本件商標に関する前記当事者間に争いなき事実を附加して考えると、次の諸事実が認められる。
(1) 前記戦前の時期において、京花紙一号に「松風」の商標を使用したのは被告(その前身)のみではなく、当時すでに高知県、愛媛県、高松市、京都市、大阪市等各地の製紙業者あるいは製紙業者に下請け製造させて製品の卸販売をした紙問屋等の業者にして、京花紙一号にこの商標を用いたものは相当多数存在し(なお被告を含むこれら多くの業者のうち、いずれが最先使用者であつたかは明らかでない。)、業者間に品質等について競争する状況にあつたのであり、その後前記戦時統制に伴い右商標の使用は一時中断されたが、戦後間もなく統制が解除されてから各方面に事業の再開、発足を見るに至り、かくてこの当時から後記の如く業者に対して被告から引用商標の譲受を理由として「松風」商標の使用差止の通告がなされるに至つた昭和二九年当時までの間において、例えば高知県の「大平紙業」、「吉野川製紙」、「伊野紙」、「林産業」、「三星紙業」等、愛媛県の「福田製紙」、「高橋製紙」、「十川製紙」等、香川県の「市川製紙」等と称する製紙業者はその殆どすべてが製品たる京花紙一号につき右商標を使用しており、さらにまた高松市の「昭和商会」、鳥取市の「丸万商会」、京都市の「中川喜商店」、「村上商店」、大阪市の「山孝紙店」等と称する紙問屋にして製紙業者に下請製紙させてこの商標によつて販売するもの続出し、かように「松風」商標は京花紙一号につき業界の多数のものに使用されていた。
(2) もともと京花紙一号は土佐を発祥の地とし、品質、生産量等においてこの地方が首位にあり、これに次ぐのが伊予等の四国各地、九州地方であつて、主としてこれら地方の地方産業として発達して来たもので、その有力な製紙業者は殆どこの地方のものが占める状況であつたが、この業界では製紙業者が全国各都会地に散在する紙問屋のいずれかと直結して一種の系列をなしているものが多く、かような場合に紙問屋にしてその系列製紙業者に下請製紙させてその製品をいわば自らの商品として販売するものも少なくなかつたものであり、そしてこれら多数に存する製紙業者及び問屋業者の間においては、古くから、主として自らの看板商品とする特色あるもの、極上品質のもの等については、登録した商標を独占的に使用するにしても、広く普通一般には、正式に登録などしないで「松」、「梅」、「藤」、「月」、「雪」等にちなんだはなやかで印象的な標章の数々を好みに従つて自由にこれを商標に選んで使用するのがならわしとなつていて、これがため京花紙一号については同じ商標が多くの業者によつて競合して使用せられることが稀ではなく―しかも以上のような関係に加うるに、この競合使用の商標に多く見られる後記のメーカー名ないし出所の具体的表示を避ける風習が相まつて、個々具体的の場合に、当該の商標が製紙業者のものとして使用されているのかまた問屋業者のものとして使用されているのか必ずしも明らかでないこともあるというのが実状であつた。―ここで問題の「松風」商標の如きは正にこの多数業者によつて競合使用される商標の一例であつた。
(3) そしてこの業界では、主として右の多数業者によつて重複して使用されている商標に見られることであるが、商標を商品の包装等に附するに際してメーカー名ないし出所を附記するにあたり―「松風」商標を例にとれば―例えば「松風製紙(所)謹製」というが如くに表示して、ことさらにその具体的出所の記載を避けるのが風習となつていたのであるが、被告も戦前の前身時代から商品につき「松風」商標を使用するにあたりこの表示方法によつてきたのであつて(後に引用商標を取得してからもなおこの方法を用いている。例えば前示甲第七号証の一の押印に示すような「松風京花紙製造工業株式会社」の名を用いている。)、かように被告の「松風」商標の使用はその使用の態様においても他の業者と異なるところはなかつたと共に、他面かようになんら被告名の表示を伴わない「松風」商標の表示のみによつては、商標上看者をして「松風」商標の認識は生ぜしめたにしても、被告の「松風」商標たるの認識は生ぜしめるに由なかつたところであり、そしてまた従来多数併存した「松風」商標の京花紙一号の中にあつて被告のものが特に優秀であるとかその他なんらか特別の関心をひくというものでもなかつたのである(加うるにまた、被告は旧来いわゆる「松風」商標の使用において単なる「松風」に終始したものではなく、「松風」の文字に「雪」の文字を冠したものを主体とし、これに雪の結晶の模様を配して表示することも多かつたのであり―「松風」商標においては、「松風」の文字を主体とし、これに松の模様を配して表示するのが業者の例とするところであつたが―これがため一部業者間では「雪松風」が被告の商品と見られている状況であつた。)。
(4) かように被告はその前身時代を含めて昭和一〇年前後から京花紙一号につき「松風」商標を使用し来つたものの、それは他の不特定多数の業者と相並んでのことであり、しかもこれら多数の右商標の使用者の中にあつて、商標使用の態様、その使用の商品その他において特に被告の商標たるの認識を生ずる格別のものがあつたわけでもなく、従つて被告は要するに併存する多数の「松風」商標使用者の単なる一員にすぎず、取引者、需要者から特に被告の「松風」商標として注目され、知られることかつてなくして推移し来つたのであり、業界の有力者にして後記の被告からの「松風」商標の使用差止の警告に接した後にはじめて被告の従来の右商標の使用の事実を知るに至つた者も一、二に止まらぬという実状にあつたのである。しかるに被告は、かつて京花紙を製造したことなく、これにつき引用商標を使用することのなかつた訴外三菱製紙株式会社から昭和二九年前記の如く右商標を譲り受け、にわかに一方においては昭和三〇年頃からさん下の卸、小売業者を糾合して松風会なるものを結成し、例年松風京花紙の招待附売出しをして会員を旅行に招待する等の行事を行い、販売の拡充と引用商標の宣伝に乗り出すに至ると共に、他方においては昭和二九年中から引用商標の譲受を理由として、従来前記のように相共に「松風」商標を使用していた業者で知れた者に対し、右商標の使用差止の警告をして順次その使用を止めるに至らしめたのであるが(右警告によつてその使用を止めた業者中には、高知県伊野町の伊野紙株式会社の如く「正木松風」なる商標の登録を得てこれを使用するに至つたもの、高松市の株式会社昭和商会の如く「浜の松風」なる商標の登録を得てこれを使用するに至つたもの、伊予三島市の福田製紙株式会社の如く会社代表者たる本件原告において登録を得た本件「文楽松風」なる商標を使用するに至つたもの、鳥取市の合資会社丸万商会の如くはじめ「松鶴」なる商標を使用するに至つたが、後に系列製紙会社たる右福田製紙株式会社及び商標権者たる本件原告とはかり本件商標を―メーカー名を「文楽松風特製」と表示して―使用するに至つたもの等「松風」商標にかえ新らたな商標を使用するに至るものが多かつた。)、前記の如く引用商標と同一性ある「松風」商標は従来多くの業者によつて永きにわたつて競合して使用され来つたのであり、しかも被告は引用商標の譲受後においてもその使用にあたり従前どおり単に「松風」商標を表示するのみで被告名をあらわすことのなかつたこと前記のとおり(これに反する証拠はない。)であつて、外観的には引用商標の取得の前後に通じ何の変化もなかつた状態であり、前記のような引用商標の取得後における被告の宣伝、管理の努力を以てしても、本件商標の出願ないし登録査定がなされた昭和三二、三年頃(出願日は前記の如く昭和三二年一二月九日であり、登録査定日は成立に争いなき甲第三号証によれば昭和三三年七月一〇日であることが認められる。)までの期間を以ては、にわかに引用商標が被告の商標として取引者、需要者に周知されるには至らなかつた。
以上のように認定されるのであつて、本件において原告主張の如く、被告の引用商標の譲受前における「松風」商標の使用が、引用商標の周知、著名性の判定上除外さるべきであるか否かはしばらくおき、右使用の結果を加えて判断しても、被告の引用商標が未だ京花紙一号につき周知、著名であつたとなし難いこと以上のとおりである。
そしてまた右認定事実から考えれば、仮りに「松風」なる名称が京花紙一号の取引者需要者間において、その代名詞的な使用がせられていた事実があるとしても、それはただ京花紙一号それ自体についてせられていたにすぎないものであつて、被告の製造ないし販売にかかる京花紙一号のそれとして使用せられていたものとはいえないものというべきであるから、本件原告の「文楽松風」の商標中に「松風」の文字が含まれているとしても、それはただ右「松風」の名称によつて称せられている京花紙一号の一種としての認識を取引者需要者に与えるに止まり、被告の「松風」商標のものとの間に出所の混同を生ずるおそれはないものと認めるのが相当である。
(三) 従つてこれと異り引用商標が右商品につき被告のものとして著名であつたと認め、このことを前提として本件商標の登録が挙示の商品につき旧商標法第二条第一項第一一号の規定に違反すると結論した審決の判断は、その他の判断をなすまでもなく失当というべきである。
三、以上の如くであるから審決の違法を主張してその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容する。